シュレーディンガーの猫を探して TOP  >  2014年08月

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「面倒くさい」を追及する


私は髪の毛を洗うのが、本当に面倒で、決心しないと洗えないのです。
それに、髪の毛洗うって考えるだけで「ど~ん」と暗い気分になります。

お風呂にただ入るだけなら入れますが、
髪の毛を洗う作業が入るだけで、お風呂に入れずにぐちぐちと時間をつぶしてしまいます。

この前も、「明日も仕事だし、髪の毛洗わないと……でも面倒」と、
早く入らないと、どんどん寝るのが遅くなるぞと思いながら、
それでもグジグジしておりました。

そしてふと、「なんでこんなに面倒なんだろう。子供の頃に何かあったか?」
と思い、ダウジングで調べてみました。


ひょっとして親や祖母が「面倒」といいながらお風呂に入れていたんじゃないかと思い
聞いてみましたが、
「No」

誰かに何か言われたか …… No

じゃ、自分で思ったか …… Yes

いくつの頃か …… 年齢で聞いてみたら10歳

そこで思い出しました。

その頃、私の家族は誰もが知っている大企業の会長の別荘に住んでいました。
両親は別荘の管理をしながら、そこに住んでいたのです。

今思えば贅沢ですが、お風呂は温泉と、そしてもうひとつ普通のお風呂がありました。
2つあったのですよ。

でも、両親と祖母は温泉のお風呂しか入らず、姉妹もまだ小さかったため温泉だけで大丈夫でした。

私は小学校の高学年になり、温泉で髪の毛を洗うとぼさぼさになってしまうということに気が付き、
普通のお湯で洗いたいと両親に言いました。
私は今でも髪の毛は多いのですが、この頃から20代ぐらいまでは美容院に行くと
「人の3倍髪の毛があるね」と言われていたくらい多くて、そしてクセが強い毛でした。

ただ、今みたいにお風呂にシャワーがあったわけではなかったので、
お風呂のそばにあった洗面台で洗えと言われていました。

本当に普通の洗面台に洗面器にお湯を汲んで洗っていました。
この洗面台、家の奥にあって、長い廊下の先にありました。
真っ黒な廊下を走って洗面台まで行き、
自分でマッチを擦って湯沸かし器に火を入れ、
あまり水や泡を飛ばさないように髪の毛を洗い……そりゃ、面倒だし、怖いだろうよ!!

私はこのせいで髪の毛を洗うのが面倒って40年近く思っていたわけですね。

なんと、衝撃的な。


わかったところで、自分のインナーチャイルドに
「怖かったよね、あの洗面台。それに面倒だったよね。
でも、今はシャワーで簡単に洗えるから大丈夫だよ」と声をかけました。

あれから何日か経ちますが、結構すんなり髪の毛を洗えるようになりました。

なんでもっと早く調べなかったんだろうと思います。

私の性格上の問題なんだと思っていたら違いました。
他にもいくつも「面倒」なことがあるので
掘り起こしてみようかなと思っています。
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[ 2014年08月14日 19:45 ] カテゴリ:日々の考察 | TB(0) | CM(0)

人はなぜゴリラ的思考を忘れてしまったのか


先日、ウォーキングしている時に入ったことのない本屋を見つけました。
本が好きなので、本屋を見かけるとつい立ち寄ってしまいます。

そこで見つけたのは『「サル化」する人間社会』という本でした。

著者は京都大学大学院理学研究科教授。
霊長類学と人類学をされている先生とのことでした。

サル、オラウータン、ゴリラなどを研究しながら、
人間とは何かということを探究されてきたそうです。


この先生は主にゴリラを研究されているそうなのですが、
ゴリラって、人間より進んでいるんじゃないかと思うこともあるそうです。

私もこの本を読みながら「ゴリラの社会の方がすごいな」と思いました。

それはなぜか。

例えば、オス同士がケンカした場合、
間にメスや子供が入ってそれを止めるそうです。
その仲介に入ったメスや子供はどちらの味方もしないそう。
そして、勝ち負けをつくらないで終わるのだそうです。

1匹のオスにメス何頭かで群れをつくるのが普通のゴリラ社会ですが、
メスも子供もオスもすべて「平等」なのだそうです。
誰が偉いというのはなくて、みんな一緒。
まだ独り立ちしていない若いオスが、リーダーのオスに食べているものを
ねだったりしても、リーダーのオスは怒らず、譲ってくれるそうです。

また、サル社会は人間を警戒しますが、慣れてしまうと無視するそうです。
やり方は見せてくれるけれど、その中には入れない。
でも、ゴリラ社会は、「ここで一緒にいるならこうしてね」というルールを教えてくれるそう。

筆者の先生は「人間はゴリラを受け入れるのはなかなか難しいけれど、ゴリラは受け入れてくれる」
と書いていました。

そして、ゴリラは相手の眼を見て、相手の気持ちを知ろうとするのですって。


進化の過程では、人は同じ先祖からゴリラと別れたようなのですが、
どこで人はこの部分を忘れてしまったのでしょう。
勝ち負けを作らず、誰も平等で、平和な社会。

そして、サル社会は、勝ち負けの社会なのだそう。
競争社会ですね。

どっちが暮らしていくのが楽かは一目瞭然。

人はこのままサル社会を突き進むのか、
それとも、先祖がえりしてゴリラ社会に戻れるのか。


自分が意図して選べばいいのかなとも思いました。
私はゴリラ社会を選びたい。

[ 2014年08月09日 22:45 ] カテゴリ:日々の考察 | TB(0) | CM(0)


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